中学校③

進路も決まり中学生活もあとわずか、

というところで、

学校に行くのが苦しい日々を過ごしていました。

友達はいませんでしたが、いじめはなく、でも喋れない、自分の気持ちが伝えられない、苦しみ、学校にいる間ずっと続く不安や緊張は当時始まったことではなく、十何年も続いていました。

それがこの時期になって爆発したのか?

また、この当時反抗期で、また親の言動が許せなく、腹が立つことがしばしばありました。幼少期から親は不仲でよく喧嘩していたり、家庭でも心が休まらないこともありました。

家庭と学校、どっちかが原因ということではなく、色んなことが積もりに積もっていたんだと思います。

 

中学生活最後の約2週間、学校を休んでしまいました。

卒業式も出れず、生徒が帰った学校へ行き一人で先生から卒業証書をいただくことはできました…

(期間は短かったので不登校の定義からは外れますが)

 

学校に行けない期間はずっと自分のベッドで過ごし、寝るか携帯をいじるかネットをしていました。

でも嫌な気持ちから解放されることはなく、学校を休む罪悪感、何もしたくない無気力状態でした。

食事をするのも入浴するのも苦痛。

夜眠り朝がくるのが怖く毎日夜更かししていました。

中学校② 高校受験

成績のこともありましたが、それよりも話せない私が高校に受かったとして、高校生活はどうなるか?話せないままなのか?三者面談で何度も話題に出ました。

 

三者面談といっても私はそこに座り聞いているだけで先生と親が話してただけですけどね…

 

高校生活への不安、勉強にも力が入らない日々でした。

 

やはり知り合いがいる環境だとずっと話せないままかもと思ったので、

遠くの、やりたいことができる高校を選びました。(全日制です)

 

試験は筆記テストと面接がありました。

やっぱり不安は面接。。。

 

中学で面接練習もやっていましたが話せない私は参加せず…という感じでした(^^;;

 

試験当日、周りに知り合いは一人もいなかったため、なんとか最低限のことは小声で話せました。

 

そして面接…

人並み程は話せなかったです。

スムーズな受け答えはできませんでした。

言葉が出てこないと、(その質問)分かりませんと言ってしまいました。

でも、面接官が優しかったこともあり割と落ち着いてできたかなと思います。

 

結果は…合格。

普通の女子高生生活を夢みていましたが…

 

唯一の居場所

中学になると、友達もできず学校では孤独。

家庭も親が不仲で、更に反抗期も加わり居心地が悪かったです。

 

そんな私はネットの世界が唯一の癒しでした。

だんだんと知り合いが増えていきました。

私は家以外の場所では話せないということを知らない人たち。

言いたいこと、好きなことを伝えられる唯一の場所。

時には悩みも書いてましたが優しい方が多く、心の支えでした。

 

学校から帰るなり、すぐネットを開き、休日も許す限りずっとしていました。

 

もちろん、ネットには危険もたくさんということは承知の上、

でも当時の私にとって唯一安心できる場所であり時間でした。

 

のめりこんでしまい、勉強どころではなくなったりしました。成績も下がっていきました。

でも、自分の気持ちをどこにも出せていなかったらもっと早く壊れていたかもしれない。

中学校①

中学は、地元の公立に通いました。

小学校が同じなど知ってる人も多かったため、今まで喋れなかった私がいきなり話してどんな反応されるだろう…って怖かったこともあり、結局話せず…

 

仲のいい友達は違う中学へ行き、友達はできませんでした。

孤独な中学時代が始まりました。

いじめられるんではないかと常にビクビクしてました。

 

多くの先生が授業で挙手したり発表した回数も成績に入れるシステムで、私は挙手も発表もできず自分が情けない思いでした。

音楽で、歌のテストがありました。1学期は先生が私のことを理解してなかったです、歌を歌うことができず成績は1をつけられてしまいました。

それがものすごくショックでした。。。

 

通ってた中学は先生と毎日交換日記的なものをするようになってました。

そこで担任の先生とやりとりができたのはよかったかなと思います。

 

友達はできませんでしたが、

グループを作るとき私を誘ってくれたり、

「喋れよ」と言ってきた人に対して「やめなよ」と言ってくれる子がいました。

とてもありがたかったです。

 

男子の中にはからかって反応を楽しんだり、私の行動を笑ったりする人もいましたが女子は嫌な対応をする子はほとんどいなかったように思います。

言われて辛かったこと

・なんでしゃべらないの?

・しゃべって!

・無口

・発表とかしなくていいから、歌歌わなくていいから羨ましい

・ロボットみたい

・しゃべらない人と同じグループでかわいそう、しゃべらない人がいるから〇組になって嫌

・(先生に)ダメだよしゃべらなきゃ

・(先生に)卒業式ではちゃんと返事しなさいね

・(行動が遅いから)マイペース

 

他にも色々言われましたが、印象に残っているものを挙げました。

 

なんで?と言われても、自分でも理由が分からないので辛かったです。

しゃべってと言われてしゃべれるもんならしゃべってる。

私だってしゃべりたかった。。。

 

習い事をしていましたが、上手くできず先生に怒られたときにしゃべらないことまで言われたときはかんしゃくを起こしてしまいました。

小学校②

小学校低学年までは、友人に困らず

休み時間も誰かしら誘ってくれて一人でいることはほとんどありませんでした。

 

非言語コミュニケーションでわりと人と接することもできてました。

表情も人並みではないものの、多少笑顔でいたと思います。

 

でも、小学校高学年になるとクラスの一人の友人を除き、休み時間私に話しかける子はいなくなりました。

悪口も言われるようになり、必死で涙を堪えていました。

授業中にも挙手もできなくなりました。

人への不信感を持ったり、自尊心はどんどん下がっていきました。

 

校内にはほとんど年下のため、年下の子を指導できない、また年下の子にすらからかわれる情けなさも感じていました。

委員会やスポーツ大会などもあり、声を出せないのが更に辛く、自分を責めてばかりでした。

 

笑うと注目されるため、表情は常に無表情…自信のなさから猫背になりました。

 

小学校でも話すことができないまま卒業しました(これで幼稚園合わせて8年間)。

緘黙時代〜学校、家以外の私〜

外出しても家族以外とはほぼ話せませんでした。

 

例えば、レストランに行ったら注文は自分で言えず、家族に言ってもらってました。

小学校低学年のある日、おつかいを頼まれたんです。

店員さんに買いたいものを伝えられず、買うもののメモは渡せたものの、その商品の一つが売り切れでした。

それ以外の商品はあったのに何も買えず帰ってきました。

 

病院でも症状を伝えるのはほとんど家族、美容院でも注文するのは親、雑談も出来ませんでした。

 

外出先で会うお店の人には話せないけど、外でも家族とは普通に話していました。

しかし、学校のクラスメイト等知り合いに会うと急に話せず表情も硬くなっていました。

 

なるべく店員さんに関わらないよう、自分でジュースを買うのはほとんど自販機でした。

 

買い物するときはほとんど親と一緒じゃないと出来なかったものの、中学になると、親離れしていき、一人で買い物に行くようになりました。

どうしても声を出さなければいけない場面があります。

聞き取れるか取れないくらいの小さな声で話してたと思います。

家で話すような声は出なかったです。

自分の声じゃないような、そんな感じでした。