緘黙時代〜学校、家以外の私〜
外出しても家族以外とはほぼ話せませんでした。
例えば、レストランに行ったら注文は自分で言えず、家族に言ってもらってました。
小学校低学年のある日、おつかいを頼まれたんです。
店員さんに買いたいものを伝えられず、買うもののメモは渡せたものの、その商品の一つが売り切れでした。
それ以外の商品はあったのに何も買えず帰ってきました。
病院でも症状を伝えるのはほとんど家族、美容院でも注文するのは親、雑談も出来ませんでした。
外出先で会うお店の人には話せないけど、外でも家族とは普通に話していました。
しかし、学校のクラスメイト等知り合いに会うと急に話せず表情も硬くなっていました。
なるべく店員さんに関わらないよう、自分でジュースを買うのはほとんど自販機でした。
買い物するときはほとんど親と一緒じゃないと出来なかったものの、中学になると、親離れしていき、一人で買い物に行くようになりました。
どうしても声を出さなければいけない場面があります。
聞き取れるか取れないくらいの小さな声で話してたと思います。
家で話すような声は出なかったです。
自分の声じゃないような、そんな感じでした。
小学校①
地元の普通の公立小学校に進みました。
幼稚園が一緒だった子も多く、初日から話せず…
点呼で「はい、元気です!」と言えないのも辛かったです。
幼稚園から同じで話せる親友と同じクラスになり、その子と休み時間には耳元で小声で話していました。
話せないものの、その他の子とも非言語コミュニケーションでコミュニケーションを取っていました。
数人の子には「なんで話せないの?」と責められたりしましたが…
仲間はずれにされることはなく、むしろ積極的に誘ってくれて
休み時間や放課後大人数で遊んだりしてました。
授業で発表は出来ませんが、挙手はしていました。
先生が気を利かせて黒板に書く等非言語コミュニケーションで伝えられるものは指してくれました。
体調が悪いとき、言えず教室で吐いてしまったことは申し訳なく辛い思いをしました。
小学校低学年までは友達に困ることはなかったです。
ただ、話せないだけで周りの子と同じように遊んでました。
幼少期②
幼稚園入園後、しばらくは話せないことに加え、身体も硬く教室の隅でじっとして過ごしていました。食事も出来ませんでした。
しかし、先生や友達の関わりによって次第に周りの子と遊べるように。
声は出ませんでしたが、頷いたり、首を左右に振ることで「はい、いいえ」で答えられる質問には答えられるようになりました。
幼稚園で一口も弁当やおやつを食べれず残していました。
別室で母親(わざわざ昼休み仕事を抜けてきてくれました)と先生とお昼の時間を過ごし、それでもなかなか食べることは出来ませんでしたが、
とある日、なんのきっかけかは覚えていませんが、食べれるようになったのです。
次の日からは教室で普通に食べれるようになりました。
仲のいい友達ができ、お互いの家で遊ぶようになりました。
その子とは家では話せるようになりました。
また、幼稚園でも他の子に聞こえない程度の声で話すようになりました。
幼稚園の外であれば、少人数のときは普通に話していました。
自分を表現することも苦手でしたが、この頃から徐々に非言語コミュニケーションでやりとりできるようになってきました。
しかし、家族と数人の友達を除き、話すことだけはどうしても出来ませんでした。
場面緘黙症発症〜幼少期〜
どこにでもいるような活発な子でした。
発症は幼稚園入園でした。
(記憶は定かではありませんが、入園前にも家以外で話せなかったかもしれません。)
入園式、親と離れなければならないのですが、私は母親の手を離そうとせず…
不安で不安で仕方なかったのを覚えています。
名前を呼ばれても返事が出来ませんでした。
幼稚園の生活…
声を出すことは出来ませんでした。
喉の奥が詰まって口の周りがずっと緊張してる感じでした。
緘動も持ち合わせていました。
周りの子が自由に遊んでいるのを見ているだけで身体が動かず…
集団行動で何をするにもビリでした。
ダンス等も身体が動かず、言葉を発するだけではなく自分を表現することが不安で出来ませんでした。
絵を描く課題で、自分を表現するのが怖くてなかなか手が動きませんでした。
しばらくはお弁当やおやつを食べれず、いつも残して家に持ち帰ってきてました。
(次の記事に続きます)
はじめまして
はじめまして、りんと申します。
現在20歳前半(女)です。
幼少期〜中学校まで場面緘黙症でした。
家では普通に話せるのに、幼稚園や学校等で全く話せませんでした。
と言っても、現在生きていける最低限の会話はできるようになったものの、コミュニケーションは人並みにはできず、劣等感等も抱え生きづらさを感じています。
話せるようになってからがゴールではなく、話せるようになってからも色々な壁がありました。これからもあると思います。
緘黙時代は辛かったけど、最近、私が緘黙になったのは意味があるんじゃないかと思うようになりました。
緘黙への理解者が増えてほしいと願っています。
私がした経験が役に立てばと思い、ブログを開設しました。
@6Lyq8RSrcZ8lgBw